a faint gleam of light

その時思ったことを書き残す場所

実質事務所担だった小学生時代の話

お題「ジャニヲタになったきっかけ」

 

V6の慌ただしい20周年イヤーも終わり、最近では個人活動の情報がぞくぞくと発表されている最中ですが

 

うーーーーん、V6ロス!!!

 

この時期大学の授業がほぼないのでかなりの時間を持て余しております。

とりあえず2月17日のDVD発売までの辛抱…!!

 

ってことで最近何やってるかと言いますと他ジャニーズの活動をTVで見てます。

所謂お茶の間事務所担ってやつです。

最近はテレビあんまり見てなかったんですけどちゃんと番組表見るとジャニーズがレギュラーの番組っていっぱいあるんですね!

あと、小学生の頃から制作しているジャニーズのTV番組DVDを掘り返して見てたりするので、私がジャニヲタになった小学生時代を振り返ってみようかなと思います。

 

胎教からのV6チルドレン疑惑

 小学生時代って言ってたじゃないか!と思った方、申し訳ありません。

 

前、三宅健のラヂオで最近若いV6ファンが増えているという話になり、学校へいこうなどの小さいころの植え付けが今開花しているんじゃないかという仮説から、お腹にいるときからV6の曲を聴かせ、生粋のV6ファンを増やすという「胎教からのV6チルドレンのすすめ」というのを三宅さんが提案してまして。

そういえば私は胎教からのV6チルドレンじゃないかと思ったんです。

私は1996年の2月生まれです。もう少しで成人!!

私の母は学生時代バレーボール部でキャプテンをしてまして、いまでもバレーボールの試合をTVで放送していると欠かさず見てるんですね

そして1995年11月ワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューしたV6

絶対母はワールドカップバレー見ましたよね。そうなると毎回試合の前に聴くんですよ。

MUSIC FOR THE PEOPLEを。

丁度胎教をする時期に毎日のように聴いてるんですよ。洗脳完了ですよ。

あとすごかったのが、私が大学入学で関東に出るタイミングで関東圏に住む母方の親戚が集まりまして

そこにいた親戚の女性全員ジャニヲタを経験してるんですよね。

あ、遺伝だってその時思いましたよ。私がジャニーズ好きになるのは必然だったんだなと。

こんなわけで物心つく前から私はジャニヲタ人生を歩む運命だったのです。

 

小学3年の冬、ジャニヲタの遺伝子が開花

その後モーニング娘。とっとこハム太郎が好きな女の子として幼稚園と小学校低学年を過ごします。21時になると布団に入って寝ていた私は19時からのTV番組を毎日楽しみにしていて、伊藤家の食卓、学校へいこう、うたばん、MUSIC STATION、めちゃイケ笑う犬などのバラエティー番組大好きっ子になりました(あれ?V6多い……?)

そんな私が次の日が休みということもあって少し遅めにお風呂に入ったある土曜日。

お風呂から上がると父があるドラマを見ていたのです。

それがあの赤亀が出ていたごくせん2期だったんです。たしかそのとき見たのは小池徹平くんがメインの話だったと思います。

その回からごくせんを毎週見るようになり、赤西さんと亀梨さんをかっこいい!と思い始めます。レンタルショップに姉妹と行って売ってもいない「絆」のCD探したなー……その後KAT-TUNがデビューしてないからCDを出してないと知るんですけど。

 

小学4年の冬、SMAPからKAT-TUNまでのジャニーズ全員の名前を覚える

2005年の冬、あの伝説のドラマ「野ブタをプロデュース」「花より男子」が始まります。そこでNEWSと嵐と裕翔さんの存在を知ります。SMAPTOKIO、V6、キンキに関してはバラエティとか歌番組によく出てたし気づいたら知ってたって感じですね。それから歌番組を見てはメンバーの顔と名前を覚えようと必死だったなあ。アップになった人が誰かを姉に教えてもらいながら覚えていきました。このときは光一さんとタッキーが同一人物だと思ってました。(2007-2008のカウコンで2人が一緒にDarlingを歌っているのを見てようやく区別がついた)

またこの時期に家にHDDレコーダーが導入されます。野ブタはリアタイで見れたんですけどまだこの時期は22時には就寝しなきゃいけなかったので花男は録画して見てました。

そしてKAT-TUNがデビューした2006年3月、HDDで録画した番組を編集してDVDにダビングするやり方を覚えます。なので今私が持っている映像は2006年3月からということになります。

 

小学5年、Mステ毎週録画でジャニーズの曲を覚える

KAT-TUNデビューからすこし落ち着いたころ、私たち姉妹はSMAPからKAT-TUNまでのグループ全部を追いかけ始めます。しかしビンボーな田舎育ちなのでコンサートには一切いけませんでした。メインはKAT-TUNなのでそれ以外のグループはCDレンタル、Mステやうたばん、HEYx3はジャニーズが出れば録画、編集、ダビング。ジャニーズ出演のドラマ、バラエティーもできる限りチェックしました。今考えればかなりの熱量だったなあと。この時期にどのグループに関してもある程度話せる土壌が完成しました。今では昔のDVD見るたびに昔の自分GOOD JOB!!と思ってます。

 

小学6年、ジャニーズJr.に興味を持つ。そして初めての担降り

6年の夏、私は姉から「あるドラマに出ているジャニーズJr.の子がかっこいい」という情報を得ます。それが「探偵学園Q」の山田さんでした。そして同時期に旧Hey!Say!7が結成され、冥王星の正当な後継者天草流とHey!Say!7のメンバー山田涼介のギャップに見事に射抜かれます。それが私の初めての担降りでした。

また家では地デジ対応のTVが来てBS放送が見れるようになりました。ここからザ少年倶楽部の視聴が始まります。

それまでジャニーズJr.といえばYah-Yah-YahとKittyの存在(メンバーは知らない)と裕翔さんしか知りませんでしたが、そこからJ.J、キスマイ、えび、関西Jr.の主要メンバーなど、番組内で名前が紹介される人たちを覚え始めます。

 

私の小学生時代はこんな感じでした。ジャニヲタをしていく中で、レコーダーの扱い方、検索エンジンの使い方、オリジナルCDの作り方などを覚えていき、機械いじりが好きになって今情報系の学科で学んでいるので今の自分はジャニーズ無くしては存在しなかったんだなあと思います。

 

そんな感じで私の歴史を振り返ってみました。ただの自己満足な話でした。すみません

※補足:あややさんが提案したお題にぴったりはまった記事だったので後付けですが参加させて頂きました。