a faint gleam of light

その時思ったことを書き残す場所

ジャニーズのシンメ文化について

という記事を書こうと思ったのですが、その直後にまさかの大爆弾を投下されたので少しその話に付き合って下さい。

 
事の原因は5/27放送のA-studio。ゲストはV6の森田剛
 
A-studioではゲストと親交のある人にMCである鶴瓶さんが話を聞きに行くという流れがあり、今回その話を聞きに行ったのがプライベートでも鶴瓶さんと交流がある三宅健だった。
 
森田剛三宅健といえばJr.の頃から「剛健コンビ」と呼ばれJr.トップの存在となり、その人気は事務所で初めてJr.メインのコンサートが2人を軸に行われた程で、その後のJr.黄金期の礎を作った伝説のコンビであり、シンメだ。
 
番組の最後にゲストについて鶴瓶さんが1人で語る時間があるのだが、この時に話された内容はこうだった。
 
あいつ(三宅)がね、足を骨折しよったんですよ。今舞台*1やってんねんけど。
その時に、いつもはそんな舞台には全然来ないのに、剛がとんできてくれたんやって。それで第一声
「お前の踊りを見に来たんだから踊れよ」
って言うたんやって。
健は「あいつ(森田)はもしこうなったら絶対足が千切れても踊るヤツだから、"分かった"って思って、自分は本当にその言葉にエネルギーを貰って踊れた」って言う。
で、帰り際にそんな俺に敬語なんか使ったことないのに
「剛をよろしくお願いします」
って言うたよ。びっくりした。
普段そんなやり取りをしないのにそういう想いを持てるっていうのは凄いなと思います。
 
何この二次元みたいなお話。
 
実際に森田さんが来た4/19の夜公演では、骨折後演出が変更されていたMASK*2の振り付けが当初のものに戻っていたという。
 
この話を聞いて私はこみ上げるものがあった。しかしこの気持ちは私の語彙力じゃ表現出来ない。多分皆さんが感じたものと同じ気持ちだろう。
 
 
ここで私は
 
「シンメって何なのだろう」
 
と思った。
 
ジャニーズの世界で使われるシンメという言葉を辞書的に表すと
  • Jr.時代に先輩のバックでセンターを挟んでシンメトリー(対称)のポジションにいた2人のこと。
  • シンメは本人たちが決めるのではなく、事務所が決める。
  • シンメはダンスの打ち合わせ、練習など他の人よりも親密な仕事上の交流を要求される。
といったところだろうか。
 
シンメという文化はファンが特別に思っているのはもちろん、事務所側も伝統として大切にしているものだと感じる。
 
昔はそうでもなかったかもしれないが、今やジャニーズJr.は数百人規模の大所帯だ。その1人1人の面倒を見るのは事務所側には不可能である。そこでダンスの確認や練習をしあえる相手をそれぞれに作り、その2人の間で問題を解決するように促しているように見える。
またジャニーズJr.には圧倒的に時間が無い。1日にコンサート1公演分の振付を覚えなくてはならかったり、本番直前に振付が変わったりすることもよくある。しかも覚えられなければそのステージに立つことは出来ないという厳しい世界だ。その状況下だからこそ教え合い、助け合い、高め合うといった、よい関係が自然と築けるのではないだろうか。
 
シンメは事務所側が明確に提示したライバルである。だからなのかその組み合わせは似ているようで対称的な2人が多い。
 
いまでも同じグループで活動する代表的なシンメを挙げると
薮宏太・八乙女光(Hey!Say!JUMP)
などである。
 
このシンメ関係はグループとなった今でも本人たちやファンの中で大切にされている。そしてその2人の間のまるで青春少年漫画のようなエピソードはファンの心をつかんで止まない。
 
ここで私が好きなシンメを2組紹介しよう。
 
 
健には一生誕生日を祝われたい 剛のことはきらいです。でも好きです。

森田剛三宅健

最初に言った通りだがまさに伝説のシンメである。ファン胸アツエピソード数知れず。

まず名前からして運命的。剛健という意味を持ったワードになることもさることながら、森田さんの名前の由来は「質実剛健、常に冒険」という言葉からというのだから生まれた時から運命の2人だったとしか思えない。

 
最近のファンを死に追いやったエピソードには、
 
20年間ずっと2人は同じタイミングで歯磨きをしている
岡田「2人はいつでも20年経っても仲良しだね」剛健「うるさい!(照)
(V6 LIVE TOUR 2015 SINCE1995~FOREVER 初回限定盤A収録ドキュメントより)
 
剛「店にクレームを入れるときは大体健に頼む。意外と俺は(クレーム)言えないタイプだから」
健「最初強気でいけ!って言ったのに剛が段々弱くなってくからさ」
剛「で、健に電話代わったんだけど声あんまり変わらないから定員さん気づかなくて
健「全然定員さん気づいてなくて『この人どうしたんだろう急にスイッチが入ったのか』って思われたかも」
(V6 LIVE TOUR 2015 SINCE1995~FOREVER 初回限定盤A収録MCより)
 

森田さん&三宅さんは赤い糸であやとりをしながら撮影しました。「お2人であやとり、できますか?」と尋ね糸をお渡しすると、森田さんが両手の親指と小指に糸をかけまず最初の形を作ろうとしたところ、森田さんが作った糸の輪の中に三宅さんが手を入れてニコニコ。

「2人あやとりってこうやるんだっけ!?」と言う森田さんに「え?笑」と三宅さん。気を取り直して森田さんが最初の形を作り三宅さんに促すも「え?え?」と糸をつまんだり伸ばしたりな三宅さん。三宅さんは2人あやとりをやったことがなかったようで…。

周りのスタッフが「上から!」「それで回して!」とヤイヤイ言う中、「え?え?」と戸惑う三宅さんに、「上持ってって、外にまわして。おーいいねいいね」と優しく教えてあげる森田さん。あやとりを終え6人の撮影をする際も、エアであやとりの説明を三宅さんにする森田さんの姿が。森田さんは結構あやとりが得意そうでちょっと意外だなと思ってしまいました。

 (TVガイド公式Twitterより)

 

はい、宇宙。剛健は宇宙。

よくファンが剛健の深淵を見た時「剛健は宇宙」と発言しますが、その感覚を簡潔に表したツイートがあったので紹介しておきます。

 

 

 

風磨の考えてること、全部じゃないけど99%はわかる アイツをバカにしていいのは俺だけ

中島健人菊池風磨

通称「ふまけん」。Sexy Zoneの年上2人である彼らはJr.に入ったころからずっとシンメだった。

またこのシンメの凄いところはファンがシンメに対して特別な想いを持っていることを知っていて、積極的にシンメであることをアピールしてファンを増やしているところだ。 頭のいい2人は自分達のセールスポイントをよくわかっている。

 

中島「俺らの絆は、仲良しこよしじゃなくて、お互いに磨き合える存在。すごく自然に刺激を受けてる。」
中島「あいつが何をしているのかは、常に気になるよ。」

菊地「中島がいなかったら、もっとダラけてたかもしれない。あいつだけがんばってるなんてありえない。」
菊地「隣にはいつも中島がいた。最近は気づいたらシンメの位置に立ってるんだ。口に出したり目印をつけなくても。」

(MYOJO 2012年6月号より)

 

シンメの模範的な発言がこの2人には多い。お互い目立ちたがりで負けず嫌いだからこそ、ライバルという結びつきが強いシンメだと思える。

 

胸キュン発言でトンチキ王子様キャラを確立している健人とやんちゃで面倒見がいい兄貴分なリアル爆モテ男風磨という少女漫画に出てきそうなキャラ設定の2人。この2次元具合も女子の心を掴んでいるのだろう。

 

またこの2人は一緒にふざけることも多く、年上2人が収集つかないほどふざけて勝利が止めに入り、聡とマリウスが苦笑いで見ている…という場面をよく見かける。ライバルであり悪友という言葉が一番このシンメを表しているのではないだろうか

 

ジャニーズのシンメというものにはそのコンビにしか出せない雰囲気がある。そしてその関係はジャニーズ以外の場所では発生しがたい稀なものである。親友でもなくただの仕事仲間でもない。「シンメ」という強固な信頼と絆がそこにある。

 

このジャニーズでしかありえない「シンメ」という関係の沼にあなたも足を踏み入れてはどうだろうか。

*1:収録した時はまだ滝沢歌舞伎公演中だった。

*2:三宅さんがメインでJr.と共に踊るダンスナンバー。その振り付けの難易度は三宅さんの中で過去最高だったらしい

Six TONESに歌ってほしいV6の楽曲6選

 

どうもお久しぶりです。

 

学年が上がってしまった…人生の夏休みもあと2年……

GWなのに課題に追われてご飯買いに行く以外に外出をしない3連休を過ごしました…明日は授業……

 

こうなったら全力で現実逃避じゃ!!

 

ということで

 

私が独断と偏見で選ぶ

Six TONESに歌ってほしいV6の楽曲6選!!

 

まずSix TONESってなんぞや?という人に軽く紹介を。

Six TONES(ストーンズ)

ジャニーズJr.内のユニットで、ジェシー京本大我松村北斗、田中樹、森本慎太郎高地優吾からなる平均年齢20歳(2016年5月現在)の6人組。

全員Jr.歴が長く最長は京本の10年。その中で培った経験から歌・ダンス共にレベルが高く、全員身長170㎝越えの身体でのダイナミックなパフォーマンスが魅力。先輩の曲はKAT-TUNやキスマイを歌うことが多い。V6の曲は過去にROCK YOUR SOULを歌ったことがある。

 

まあこんな感じです。今私がJr.の中で一番推しているグループです。

現在シアタークリエで行われているジャニーズ銀座のストーンズ公演が当たったのでそこで歌ってくれるといいな…という楽曲を妄想たっぷりに選んでみました。

 

もちろん私の本命のV6兄さんたちの楽曲から選びました。”6”繋がりですしね(無理やりこじつけ)。ストーンズのイメージ的にアゲアゲの曲ばっかりになってしまいましたが……

Jr.ファンの方もこれをきっかけにV6のかっこいい曲に興味を持ってもらいたいなと思ってたりします。

 

Supernova

あのスーパーエロティックな曲をストーンズがやったらどうなるのかという興味で選びました。実際聴くとソロパートが多いのでメインボーカル2人(ジェシー京本)に全て任せるとちょっと大変かな…という気はしますが…やってほしい…一夜だけのすぱのば……

 

I DON'T FORGIVE

本家だと20th Century vs Coming Centuryという雰囲気の曲なのでRAP組(樹・慎太郎・高地) vs 歌組(ジェシー・京本・北斗)な感じでやってもらいたい…ジャニーズ伝統の乱闘的な演出でやっても面白いかも。

 

Hard Luck Hero

ちょっとRAP調でパートがころころ変わる曲なので全員のソロが割り当てやすいかなと。男臭い曲なので思いっきりシャウトして歌ってほしいです。同じ系統で「強くなれ」もいい。

 

GUILTY

メインボーカル2人と樹のRAPが光るんじゃないかなというこの楽曲。RAPは本家では剛健の掛け合いになってるので6人が入り乱れるようにやってもいいかもしれない。でもいかんせん不倫の曲だからなあ…まあ大丈夫か。

 

LIGHT IN YOUR HEART

バッキバキに踊ってもらいたい曲です。イントロの三宅さんソロダンスのところで慎太郎になにか空中技をキメてもらいたい。長野さんソロはハスキーボイス繋がりで北斗にやってもらいたい。

 

Sky's The Limit

これもボーカルとRAPがかっこいいので。Cメロの坂本・井ノ原のパートをジェシー京本で聴いてみたい。剛健RAPもかっこいいのでそこはぜひとも樹に!!!

 

 

いかがでしょうか?やっぱり樹がいるのでRAPが入ってる曲を多めに選びました。Six TONESはV6と同様、割とスタイリッシュなグループなので楽曲の相性は結構いいと思うんですけどね…!!

クリエの楽曲は自分たちで選んでいるらしいのでV6からも選曲してくれるといいな…

 

 

ファンになる前のお話

どうも。

 

春休みが残り1ヶ月をきり、少し気落ちしている私です。

 

今ではV6に首ったけな私ですが、ファンになる前私はV6にどういう印象を持っていたのだろうと、ふと昔録りだめていたジャニーズDVDを見て思ったので、ファンになる前の私とV6の関わりを一旦整理したいと思います。もうその当時ファンだった人はお茶の間の一人はこう思ってたんだ~ぐらいの気持ちでお読みください。

 

V6の存在を知った時期

よく覚えてないのですが、V6がジャニーズ所属のアイドルだということを認識したのはジャニーズを好きになった2005年、9歳の頃だったと思います。しかし、私は小学校に入ったころにみのりかリズム*1を友達とやっていた記憶があるので学校へ行こうはもっと前から認知していたことになります。

個人はポンキッキで井ノ原さん、伊東家の食卓で三宅さんを覚え、他4人は学校へいこうで覚えた気がします。

 

リアルタイムで聴いていたシングルはサンダーバードから。6人が声優を務める映画のCMを見たのを覚えているので間違いないです。しかしOrangeはファンになってから初聴きだったのは未だに謎…(単に覚えてないだけかも)

 

当時のV6のイメージ

そのときのV6の印象は「ジャニーズっぽくないジャニーズ」でした。

岡田さんはもうその時期には俳優として一目置かれていたし、歌声も他のグループに比べて落ち着いた印象だったし、ジャニーズで集まっていても大人しいし……

あまり前には出てこないスタイリッシュなグループ、色で表すなら紫!

がファンになる前の私の中でのV6でした。

 

個人の印象は

坂本さん…歳いってる、城島リーダーと同じ立ち位置。基本可哀想

長野さん…グルメ、なんかふわふわしてる

井ノ原さん…みんなのイノッチ、明るい、おしゃべり、ジャニーズっぽくない顔

森田さん…ひげ、渋い、無口

三宅さん…若い、かわいい

岡田さん…役者、クール

みたいなかんじだった気がします。

 

楽曲はファンじゃないグループの中では好きな方でした。

UTAO-UTAOは発売当時にCDを借りて自作のCDに落として聴いてましたし、HONEY BEATは、その時期に多く発売されていた受験応援ソングの中でも一番説得力があるなあと思いながら聴いてた記憶があります。学校へいこうで多くの学生と触れ合ってきたV6だからそう思ったのかなあ。

あとLIGHT IN YOUR HEARTはそれまでCDを姉妹全員で選んで親に頼んで借りていたのですが、はじめて自分で借りたV6のCDだったと思います。リリース当時のネットゲームのお供はLIYHでした。毎日聴いてました。

 

事務所担を辞めたあとのV6

それ以降はV6と離れる時期が続きます。把握していたシングルはセクバニ、バリバリ、ROCK YOUR SOULでしょうか。Mステで見た気がする程度。

 

そして2014年春、ファンになる直前。

テレ東音楽祭でV6を見ます。その時披露されたセクバニに懐かしい気持ちになり、V6に興味を持ち始めます。

 

それから姉に面白いと紹介されたとあるなかよしっくす動画から、なかよしっくす動画を見漁る日々が続き、ずぶずぶと沼の中へ…

 

といったかんじです。

 

ファンになる前の印象は今でも根本的には変わらないかなあという感じです。贔屓目にカッコイイとカワイイの分厚い腐ィルターをかけたというだけで。

 

そんな私もファン歴は1年半になりました。ここが山場かもしれません。

なぜなら直近のファンだった2つのグループはどっちも推していた期間が1年半だったから。今までの最長はJUMPの3年半。

 

たぶんあと数年は続くと思いますが、飽きっぽくて移り気な性格なので今後も継続的に6人の活動をしてほしいものです。

 

 

*1:学校へいこうでこのゲームがやられていたのは2003年

10年で変わったこと、変わらないこと

 

フォエバコンの円盤が発売されて1週間が経ちましたが未だにブルレイ試聴が毎日の日課となっております。ドルビーアトモス素晴らしい。特典映像可愛すぎる。

 

どうも僕です。

 

僕という一人称を初めて使いました。

 

なんて無駄口はここらへんにして。

 

機会があってV6の10周年コンサートmusicmindのドキュメンタリーを見ていたんですが、そのインタビューが印象的だったのでそれについて書こうかなと思います。

 

それは「V6とは何か」という質問に対する6人の答え

 

多分この質問に関しては何回もされてきたと思うのですが、節目と言うことで雑誌やTV番組よりも真面目に、十分な時間の中で話されたものだったので

これがこのときの皆の本心なのかなあと感じました。

 

そして20周年の節目に発売された「SUPER Very best」の特典の中でも「あなたにとってV6とは?」という同じ質問をされています。

10周年と20周年のメンバーの解答はどう変わったのか、それとも変わっていないのか

 

比較してみたいと思います

 

まず岡田さん、

10周年→お母さんのようなもの

20周年→幸せでいてほしいお兄ちゃん達

本人も言ってますけどこの人が1番10年の中で考え方が変わった人ですよね。

お母さんと表した理由は「自分を育ててくれた存在だから」とのこと。

それに加え「いずれ離れなきゃいけない」とも話しています。

その後「今離れるわけじゃない」と岡田さんは弁解していたのですが、これはV6から離れて俳優業に重きを置くことを暗に示した言葉だったのかもしれません。

そして10年後、「幸せでいてほしい5人」と発言した岡田さん

メンバーのことを想う発言、確実にV6の中に岡田さんが存在していると感じます。

 

次に三宅さん、

10周年→母体、落ち着ける場所

20周年→すきなもの、6人が集まってる画が好き

V6を想う気持ちの強さに変わりはないと思うのですが、その視点が10年でよりファンに寄っている気がします。

10周年からの10年で個人の活動が増えていっても、6人でいることが大切であると一番主張していた三宅さん、他のメンバーの活動をチェックして、今V6がどう見られているのかを考えるようになったことで、よりファン目線で客観的にV6を見るようになったのかなと思います。

 

つづいて森田さん

10周年→一生付き合っていくもの

20周年→仕事仲間

関係性をドライに考えているという点ではあまり変わらないのかなあと思います。この言葉だけをとると情が無いように感じてしまうけれども、その後の話を聞くと決してそんな訳ではなく、V6が好きだから一緒にいるんだなあと感じられます。

 

井ノ原さん

10周年→友達

20周年→パートナー

V6を仕事だけの関係とは考えていないという点では変わらないのかもしれません。10周年の時の「仕事の時はちゃんと仕事相手になるけど、楽屋とかプライベートな面では気兼ねなく付き合える友達」という言葉が全てな気がします。

 

長野さん

10周年→空気のようなもの

20周年→表現できない関係、仲間

10年目のときは「気兼ねなくいれる」ということが一番重要だったんじゃないかなと。デビュー当時は年の差も経験の差もあって居心地がいいとは言えなかった場所がやっと安心できるようになったという想いを強く感じます。

それから10年経って、V6がグループとして成熟して、長野さんがフラットな状態で考えたV6が20周年の言葉なんじゃないかなと思います。

 

そしてラスト、坂本さん

10周年→空気

20周年→空気

まず、表現が全く変わっていなかったことに驚きました。そして「これが無いと生きていけないから」という考えも10年で全く変わっていませんでした。坂本さんはもしかしたらV6に20年間ずっと同じ想いを込めていたんじゃないかと思うと、この人がリーダーで良かったなあとつくづく感じます。

 

10年前といったら私はまだジャニーズを知って間もないころで、そのころV6を知ってはいたんですがバラエティに出てる面白い人たちぐらいにしか思ってなくて。

この10年でV6に対する思いはかなり変わったので、10年間同じ思いを持ち続けるってめちゃめちゃ凄いことだなと思いました。

 

これから6人のV6に対する想いはどうなっていくんでしょうかね。

みんな大切なものであるということには変わりないんでしょうけど。

V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995~FOREVER- 雑感

 

買っちゃいました\(^o^)/

f:id:gleam1084:20160217172957j:plain

 

当初は初回ABしか買う予定なかったんですけど、

予約していたABが今日届かない&Twitterでのブルレイ盤の評判が良かった

ので急きょ購入しました。

 

これからとりあえず本編を一周してみて思ったことを書き残していこうと思います。

ネタバレ含むかもなのでご注意を↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

WOWOWとはまた違ったカメラワーク

円盤が発売するまでの約2か月、私はWOWOWで放送されたフォエバコンを毎日のように見ていたのですが、WOWOWで放送された曲も円盤ではまた違ったアングルで楽しむことができます。主な違いはメンバーの表情が分かるアングルが多いことでしょうか。

WOWOWは6人全員が映るアングルが多く、画面の切り替えも少なめでした。V6がかなり動いているので切り替えが少ないとは感じないんですけどね。

しかし円盤は発売まで時間があったのでより多くのカット割りをしていました。WOWOWでは6人アングルが長い時間あったカットも1人や3人のアングルを加えていて、よりメンバーそれぞれに注目しやすくなっています。特にバラードでのメンバーの切ない表情のアップはこちらも胸が痛くなるほど。

 

 

DOLBY ATMOSの凄まじさ

なんといってもBlu-ray盤の醍醐味はDOLBY ATMOSでしょう!

www.dolby.com

メニュー画面でDOLBY ATMOSに設定した瞬間からすべてが変わります。

本当にあの日の代々木第一体育館にいる感覚になるんです。

私の家はスピーカーなどの音響設備が一個もないので1500円の普通のイヤホンで聴いたんですけどまあすごいです。

音響設備持ってない方はイヤホンで大音量で聴くのがおすすめです。あまりに会場にいる感覚がすごかったので慌ててペンライト持ちましたもん。1人でペンライトぶんぶん振りまわして円盤視聴なんて生まれてはじめてしましたよ。

普通と違う点は音の反響がすごいこととファンの声がより大きく聞こえることでしょうか。

ファンの声が近くで大きく聞こえることによって自分もその場にいるような感覚になります。見学に来ていたジャニーズメンバーの声もより鮮明に聞こえます(笑)

11月1日の私はTwitterでずっと「代々木に行きたい」「代々木になりたい」といっていましたがまさにいま自分が代々木になれました。ありがとうございます。

 

本編は見終わりましたが、まだ明日届く初回盤の特典とシリアル特典のマルチアングルが残っています。とりあえず夕飯食べたらマルチアングル視聴といきますか。

実質事務所担だった小学生時代の話

お題「ジャニヲタになったきっかけ」

 

V6の慌ただしい20周年イヤーも終わり、最近では個人活動の情報がぞくぞくと発表されている最中ですが

 

うーーーーん、V6ロス!!!

 

この時期大学の授業がほぼないのでかなりの時間を持て余しております。

とりあえず2月17日のDVD発売までの辛抱…!!

 

ってことで最近何やってるかと言いますと他ジャニーズの活動をTVで見てます。

所謂お茶の間事務所担ってやつです。

最近はテレビあんまり見てなかったんですけどちゃんと番組表見るとジャニーズがレギュラーの番組っていっぱいあるんですね!

あと、小学生の頃から制作しているジャニーズのTV番組DVDを掘り返して見てたりするので、私がジャニヲタになった小学生時代を振り返ってみようかなと思います。

 

胎教からのV6チルドレン疑惑

 小学生時代って言ってたじゃないか!と思った方、申し訳ありません。

 

前、三宅健のラヂオで最近若いV6ファンが増えているという話になり、学校へいこうなどの小さいころの植え付けが今開花しているんじゃないかという仮説から、お腹にいるときからV6の曲を聴かせ、生粋のV6ファンを増やすという「胎教からのV6チルドレンのすすめ」というのを三宅さんが提案してまして。

そういえば私は胎教からのV6チルドレンじゃないかと思ったんです。

私は1996年の2月生まれです。もう少しで成人!!

私の母は学生時代バレーボール部でキャプテンをしてまして、いまでもバレーボールの試合をTVで放送していると欠かさず見てるんですね

そして1995年11月ワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューしたV6

絶対母はワールドカップバレー見ましたよね。そうなると毎回試合の前に聴くんですよ。

MUSIC FOR THE PEOPLEを。

丁度胎教をする時期に毎日のように聴いてるんですよ。洗脳完了ですよ。

あとすごかったのが、私が大学入学で関東に出るタイミングで関東圏に住む母方の親戚が集まりまして

そこにいた親戚の女性全員ジャニヲタを経験してるんですよね。

あ、遺伝だってその時思いましたよ。私がジャニーズ好きになるのは必然だったんだなと。

こんなわけで物心つく前から私はジャニヲタ人生を歩む運命だったのです。

 

小学3年の冬、ジャニヲタの遺伝子が開花

その後モーニング娘。とっとこハム太郎が好きな女の子として幼稚園と小学校低学年を過ごします。21時になると布団に入って寝ていた私は19時からのTV番組を毎日楽しみにしていて、伊藤家の食卓、学校へいこう、うたばん、MUSIC STATION、めちゃイケ笑う犬などのバラエティー番組大好きっ子になりました(あれ?V6多い……?)

そんな私が次の日が休みということもあって少し遅めにお風呂に入ったある土曜日。

お風呂から上がると父があるドラマを見ていたのです。

それがあの赤亀が出ていたごくせん2期だったんです。たしかそのとき見たのは小池徹平くんがメインの話だったと思います。

その回からごくせんを毎週見るようになり、赤西さんと亀梨さんをかっこいい!と思い始めます。レンタルショップに姉妹と行って売ってもいない「絆」のCD探したなー……その後KAT-TUNがデビューしてないからCDを出してないと知るんですけど。

 

小学4年の冬、SMAPからKAT-TUNまでのジャニーズ全員の名前を覚える

2005年の冬、あの伝説のドラマ「野ブタをプロデュース」「花より男子」が始まります。そこでNEWSと嵐と裕翔さんの存在を知ります。SMAPTOKIO、V6、キンキに関してはバラエティとか歌番組によく出てたし気づいたら知ってたって感じですね。それから歌番組を見てはメンバーの顔と名前を覚えようと必死だったなあ。アップになった人が誰かを姉に教えてもらいながら覚えていきました。このときは光一さんとタッキーが同一人物だと思ってました。(2007-2008のカウコンで2人が一緒にDarlingを歌っているのを見てようやく区別がついた)

またこの時期に家にHDDレコーダーが導入されます。野ブタはリアタイで見れたんですけどまだこの時期は22時には就寝しなきゃいけなかったので花男は録画して見てました。

そしてKAT-TUNがデビューした2006年3月、HDDで録画した番組を編集してDVDにダビングするやり方を覚えます。なので今私が持っている映像は2006年3月からということになります。

 

小学5年、Mステ毎週録画でジャニーズの曲を覚える

KAT-TUNデビューからすこし落ち着いたころ、私たち姉妹はSMAPからKAT-TUNまでのグループ全部を追いかけ始めます。しかしビンボーな田舎育ちなのでコンサートには一切いけませんでした。メインはKAT-TUNなのでそれ以外のグループはCDレンタル、Mステやうたばん、HEYx3はジャニーズが出れば録画、編集、ダビング。ジャニーズ出演のドラマ、バラエティーもできる限りチェックしました。今考えればかなりの熱量だったなあと。この時期にどのグループに関してもある程度話せる土壌が完成しました。今では昔のDVD見るたびに昔の自分GOOD JOB!!と思ってます。

 

小学6年、ジャニーズJr.に興味を持つ。そして初めての担降り

6年の夏、私は姉から「あるドラマに出ているジャニーズJr.の子がかっこいい」という情報を得ます。それが「探偵学園Q」の山田さんでした。そして同時期に旧Hey!Say!7が結成され、冥王星の正当な後継者天草流とHey!Say!7のメンバー山田涼介のギャップに見事に射抜かれます。それが私の初めての担降りでした。

また家では地デジ対応のTVが来てBS放送が見れるようになりました。ここからザ少年倶楽部の視聴が始まります。

それまでジャニーズJr.といえばYah-Yah-YahとKittyの存在(メンバーは知らない)と裕翔さんしか知りませんでしたが、そこからJ.J、キスマイ、えび、関西Jr.の主要メンバーなど、番組内で名前が紹介される人たちを覚え始めます。

 

私の小学生時代はこんな感じでした。ジャニヲタをしていく中で、レコーダーの扱い方、検索エンジンの使い方、オリジナルCDの作り方などを覚えていき、機械いじりが好きになって今情報系の学科で学んでいるので今の自分はジャニーズ無くしては存在しなかったんだなあと思います。

 

そんな感じで私の歴史を振り返ってみました。ただの自己満足な話でした。すみません

※補足:あややさんが提案したお題にぴったりはまった記事だったので後付けですが参加させて頂きました。 

Johnny's World

 

未だ私はあの1月29日の衝撃から立ち直れないでいる。

そう、あのミュージックステーションである。

 

今までも若手デビュー組が沢山のJr.を引き連れてスペシャルメドレーをやることはあったのだ。しかし、あのパフォーマンスはずば抜けておかしかった。最高だった。

 

まず、OPの時点で80人を超えるJr.が登場するところから、あっ、やばいなと思った。今まではその時の注目Jr.のみがOPに出ることを許されていたからだ。

そして、パフォーマンスは番組後半に行われた。若手ジャニーズは基本トップバッターかランキング後に歌うのが常であったが、今回は違った…期待は高まるばかり。

 

そしてパフォーマンスを見た感想。

 

やっぱすきだわ。

 

ぶっとんでいる。まず、Jr.のダンスの揃い方がすごい。これは前から思っていたが、ここ数年のダンスブームによって小さいころからダンスを習ってきた子が多く、また何百といるJr.の中から選ばれた先鋭なのでクオリティが高い。それがまた壮大かつカオスな世界を引き立てる。

 

そして名曲「Hi Hi Jet」の破壊力

曲の存在は知っていたのだが、こんなにも意味わかんないけどサイコーな曲だとは思わなかった。

Johnny's World仕様にアレンジされたこの楽曲は壮大さを増し、より中毒性を高める。

そしてJr.のこれでもかというほどのパフォーマンスの盛り合わせ。

これは以前からあったことなのだが、特に秀でた一芸が無かったJr.もガムシャラ*1で技を身につけたことによりそれぞれが壮大かつ高度になった。

 

そしてストリングスがメインの大サビはこれらを全て詰め込んだ最後の畳みかけとなり、まさにあの帝国劇場そのものだった。現実世界とは一線を画した夢の世界がそこにあったのである。

 

私は2年前のJohnny's 2020 Worldを実際に観劇した。Johnny's Worldは狂ったプロデューサーが1年が12ヶ月というのがあまりに短すぎると感じ、幻の13月を探すために演者と共にそれぞれの月に起こった悲劇や喜びの歴史をたどっていく話だ。この時点でいろいろとおかしいのだがそれがジャニーさんの世界だ。

 

そこで思ったことがやはりジャニーズは夢を見せるのが仕事なのだということだ。あそこにいた出演者はアイドルでも俳優でもない。『ジャニーズ』としか形容できなかった。歌って踊って演じて飛ぶ。総合エンターテインメントとはこう言うことなのかと思った。狂ったストーリーと卓越したパフォーマンスは一気に観客を現実から引き離したのである。

 

あのMステのパフォーマンスを見て一気にあの狂った世界が恋しくなった。あの時間に戻りたい。13月を探す旅にまた出かけたいと思った。これだからジャニーズファンはやめられない。

*1:ジャニーズJr.が出演していたテレビ朝日のバラエティー番組。2014年と15年の夏にこの番組主体のコンサートを開催しており、その中でJr.がパフォーマンス対決をする企画があった。